末法と最澄~法華経 安楽行品など【仏典に関するメモ】

最澄が「末法だからこそ法華経!」と

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正法⇒像法⇒末法【仏典に関するメモ】
日本での末法について。日本の仏教界では、最澄が書いたと言われる文書(『末法燈明記』)をもとに、末法のスタートは西暦1052年、という具合に設定されているようだ。
最澄は天台宗を弘めるにあたり安楽行品を引いて「末法だからこそ法華経を説くんだ!」と、混迷と騒乱の時代を法華経のパワーで乗り切ることをめざした。ただし、余分な力はスッと抜いて、安楽モードで。
「さらに、また、マンジュ=シュリーよ、求法者で如来が入滅した後に、正しい教えの衰微する最後の五百年の間に、この経説を世に弘めようと欲する者は、安楽な生活を送るのである。」(岩波文庫『法華経』「安楽な生活」より)
最澄的には1052年が末法スタートだ。平安貴族が「世は末法じゃ~涙」と嘆いた時代だ。富士山が噴火し、東では平将門の乱、西では藤原純友の乱が起こり、羅生門の荒廃を芥川が書いた。
ところで法華経サンスクリット口語訳には上記引用のように「最後の五百年の間に」と書いてあるので、末法は西暦1500年ごろで終わる感じになるけれど、21世紀になっても新しい正法がまだだ。
たぶんこの世界のどこかで数字の帳尻がヘンなことになっているのだろう。誰かが差し繰ったのか。だが無限を説く教えを前にして、あんまり細かいことを気にしてもしょうがない。

 

【参考】
「最澄における末法思想の受容と展開について」 進藤浩司(印度學佛教學研究第五十二巻第二号平成十六年三月)

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