けだし驚きによってこそ ~黄昏の地より~ 没落するヨーロッパ文明

身辺雑記

 

 グローバリズムというのはもう十数年前からいろいろと語られてきていたが、この用語は最近だんだんと現物的なニュアンスを持つようになってきた。どちらにしろこれは世界を牛耳る<主流派>の考えだ。だからこの<ism>が現実の形を取るようになって、当然のようにそれに抵抗する勢力も生起してきている。ただグローバリズムを、世界史の或る時期の「ボルシェヴィズム」とか「ファシズム」とかと同じようには取れないだろう。ひとくちに言ってこれは<ヨーロッパ正統の証>である。
 ISOという一種の規格も、この<正統>の流れの中で制定されたものだ。ユーラシアの西の果て、ヨーロッパの語源は<落日>。この、世界の一地方が生み出した文明の要諦は「標準」であり「説明」であり「活用の知恵」である。世界は人間<のために>ある。言い換えれば、世界は<人間にとって>存在する。
 この独善は所謂「ヒューマニズム」に変容していく。私(筆者)はこの考えの恩恵を受けている。私のように生活能力のない人間でもこんなパソコンを持ち、暖房の効いた部屋でコーヒー飲みながらこんな役立たずの文章を書く時間が得られるのだから。

 人間にとって世界「とは何か」?恐らくこの問いから、欧州、没落するヨーロッパの文明が発生してきている。

「世界は私の意志には依存しない」ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』、6・373。

 

「世界がいかにあるかということが神秘的なのではない。世界があるということが、神秘的なのである」同、6・44。

 昔ギリシャに住んでいたひげもじゃもじゃの賢人たち(失礼)は、「けだし、驚きによってこそ」と、(自分をとりまく)世界について考えることの端緒を説明した。しかしながらその問いを受け継いだヨーロッパの叡智は、当初の「あるということ」の驚きからいつしか離れてしまい、「とは何か」という問いの中に没入していった。世界を”利用可能な”質料(ヒュレー)、なじみの言葉に置き換えれば世界 を”使える素材”として捉え、それがいかに有益であるか、それをどのように活用するかを主たる視点として据え、あのゴテゴテした文明を作り上げていった。もちろんそういうことだから、そこには常に原初の「驚き」が滲んでいるのである。
 <規格>また<標準>。これは世界の普遍化、一般化へ靡いていく傾向である。クラスの学級会の決め事に似ている。
「どうしたらいいんだろう」
「じゃ、みんなで決めよう」
 事実はヨーロッパに住む人たちが「これがいちばん都合よかろう」として、或る意味勝手に決めたことだ。 EUのようなナショナリズム”統合”の動きは、普遍化、規格化、標準化への願望と機を一にする。彼らは培ってきた、積み上げてきた既得権を護持し、生き残りを賭けて、世界を(自分にとっての)標準に巻き込もうとする。
 英語は、当面の国際語として機能していて、便利である。私が書いているこのような文章は、日本語なのだが、英文の影響を強く受けている。楽譜は言語だ。世界の全ての音楽を説明するために作られた。しかし譜面ではどうやっても表記できない“間”とか“呼吸”のようなものがある。私は体験して知っている。“味”といわれる一種の溜めを、デジタルな表記法で どうやって記録できるのか。

 一般化を傾向する願望の根底には、「人間とは不確かなものである」という観念が横たわっている。グリニッ ジ”標準時”。彼らが決めておいてくれた。便利だ。……すべて神様の真似事。私は(浅学な私ゆえ)勝手にそう思ったりする。
 西暦。これもクラス委員の知恵だろう。暦そのものは興味がつきない成り立ちを持っている。農耕、災害対策、そして原初の「驚き」。月の満ち欠けを基準とする暦は、戦争の際、夜襲をかける日取りを決めるのにも便利だった(私はやったことないが)。私はいま、それが便利だから西暦を用いているだけで、もっと便利な年代測定法があるのなら、そっちに乗り換えるのにやぶさかでない。

 便利なものに、私はあんまり感謝する気が起きない。むしろ、「けだし、驚き」に、私は感謝する。

 

2002/01/06

コメント

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