キエフ、ハリコフはゲンが悪い?ロシア軍の鬼門ウクライナ、文明終焉のはじまり

身辺雑記

 

私たちは同じ失敗を2度は繰り返さないし、その権利もない。
ウラジーミル・プーチン

 

二の轍を踏むロシア?

 

 ウクライナ戦争でのロシア軍のダメっぷりが評判になっている。当初はロシア圧倒的勝利と言われていたのが、各種報道によればまったく予想に反してロシア軍は格下ウクライナ相手に大苦戦しているようだ。戦況推移を伝える地図(参照:「地図で見るウクライナ情勢~ロシア軍ウクライナ侵攻~  」(時事)、「6枚の地図が明らかにするロシア・ウクライナの衝突」(CNN 2022.02.25 Fri posted at 19:04 JST)を見ても、ロシア軍の躍進距離はひどく少なく見えるし、防御線を貫く衝撃力も弱いように感じられる。

 少し前に筆者なりに考えた理由をいくつか「ロシア軍がパッとしない理由 ~意図があるのか、もともと弱いのか?~  」にまとめた。
 むろん、これだけではないだろう。ロシア側としては、西側の反応との兼ね合いや、政治的かけひき、そしてまた兵士たちには、ほとんど同胞と言っていいお隣の国と戦うという感情的ジレンマもあると思われる。

 ところで、第二次世界大戦の独ソ戦でソ連軍はキエフ(現キーウ)とハリコフで痛い目に遭っている。キエフでは1941年9月に、ハリコフでは1942年5月と1943年3月に、手ごわいドイツ軍のおかげで大損害を被った。(参考:「転換点としてのキーウ、双方の読み違い【1941独ソ戦「統帥の危機」】 」)

 とりわけキエフの大敗北は第二次大戦中スターリン最大の軍事的失策と言われる。また、上記参考記事のように、キエフを巡ってはドイツ軍内部でも「統帥の危機」と呼ばれる〝ヒトラー vs 陸軍総司令部〟の深刻な齟齬が発生した。

 ともあれ、キエフとハリコフ。約80年の時を経て、このほどのウクライナ戦争でもロシア軍の戦いぶりはかんばしくない。ゲンが悪いのか?鬼門なのか?プーチンは侵攻前の演説でナチスドイツとの〝大祖国戦争〟に言及し「私たちは同じ失敗を繰り返さない」と言っている。だが見た目では緒戦で早くも二の轍を踏んでいるかのようだ。実際はどうなのか?

1941年、スターリン大失態「キエフ包囲戦」

 1941独ソ戦、ドイツ軍によるキエフ包囲戦は8月25日に開始され、9月26日にキエフにいたソ連軍が降伏し、終了した。ドイツ軍は中央軍集団の第2装甲集団と第2軍をキエフを守るソ連軍陣地の背後に北から回り込ませ、いっぽうで南方軍集団所属の第1装甲集団を同じくキエフの背後に北上させ、包囲する作戦を取った。南方軍集団の第6軍と第17軍が正面から陽動攻撃をかけた。
 北からは第2装甲集団のグデーリアン将軍、南からは第1装甲集団クライスト将軍と、ドイツ軍マニアなら胸が躍るような精鋭部隊が、ウクライナの草原を中世の竜騎兵軍団さながらに突進していく。背面をするどく突かれたソ連軍はひとたまりもなく崩壊し、将兵70万人が死傷または捕虜となり、数千門の火砲、戦車850両を失うという空前の大損害を受け、敗退した。戦況がひっ迫してもスターリンがキエフ死守命令を頑としてひるがえさなかったことが、未曽有の大敗北の原因と言われる。

 ちなみに、ドイツ装甲軍団による包囲の環が閉じる寸前に、ソ連赤軍司令部幕僚とともにフルシチョフ共産党政治委員がキエフ脱出に成功している。フルシチョフは戦後まで生き残ってスターリンの後を襲い、米ソ冷戦という人類の政治史における最大の茶番劇の片棒をかついだ。キエフという土地はいろいろと因縁深いところのようだ。

1942・1943年、ハリコフ 冴えわたるドイツ軍の統帥

 まず1942年。
 ソ連軍最強の予備軍〝冬将軍〟の力を借りて、1941年のドイツ軍の攻勢をしのいだソ連。明けて1942年の春、ハリコフ付近での大攻勢を企図した。
 対するドイツ軍も、実はハリコフでソ連軍とだいたい同じような作戦を考えていたところだった。ソ連の攻勢に対し、ドイツが反撃体制を整えるのにほとんど時間はかからなかった。作戦発起当初は快調に進撃していたソ連軍だったが、前年に引き続き、またしても名将フォン・クライスト率いるドイツ装甲軍団の鉄の拳の洗礼を受け、敗退の憂き目に遭った。今回は将兵約26万、火砲約5千門、戦車数百両を失った。

 続いて1943年。
 スターリングラード防衛戦に勝利したソ連軍はその勢いを駆ってウクライナのドンバス地域奪還に動いた。ドイツ側で同地域の守備を担当していたのはマンシュタイン元帥率いるドン軍集団だ。マンシュタイン、そしてパウル・ハウサー隷下のSS装甲軍団はヒトラーの陣地死守命令を無視して巧みな後退戦略を取り、戦線を整えた。機を見て強烈なカウンターパンチをくらわす作戦だ。
 ドイツ軍の反撃が微弱なことに気をよくしたソ連軍は意気揚々と進軍したが、そのうち疲れが出て、進撃速度が鈍り始めた。補給も滞っていて、物資が尽き始めていた。マンシュタインはこの戦機を見逃さなかった。満を持して装甲軍団を投入、ドネツ川を渡河していたソ連軍を撃破。さらに部隊を北上させ、ハリコフ付近に進出していたソ連軍をあっという間に撃退したのであった。
 マンシュタイン元帥は攻撃の手をゆるめず、クルスクへの進出を企図したが、これはソ連軍の反撃に遭って阻止された。この戦いが史上最大の戦車戦「クルスクの戦い」につながっていく。

 筆者の感覚では、このクルスク戦車戦の前ぐらいまでが、ドイツ国防軍の絶頂期であったのではないかと思う。

 

2022年、ウクライナ 抑制的な破壊行為

 2022年、プーチンは本気で戦争をしていないと思われる。西側の論調では「プーチンは、ウクライナ東部の親ロシア国家樹立の正当化とウクライナの傀儡政権樹立を目標とした全土制圧を目指している」という具合になっているけれど、思うに、全土制圧が目的なら、たったの20万で作戦を発起しないのではないか?しかも15ヵ所内外から攻め入っているので、1正面あたりの衝撃力や火力はかなり弱まる。
 ガチでウクライナを全土制圧するのなら、数十万を動員し、十分な弾薬、燃料、食糧等の物資を集積すると思うが如何。ロシアには数ヵ月ぐらいかけた準備が必要だっただろう。ウクライナ侵攻前のロシア軍はウクライナ国境に約3万5千の兵力を展開していた。侵攻時は約15~20万の兵力と言われていたようなので、十数万を各軍管区から少しずつ抽出して集めた、ということになる。(参考:『【解説】 ロシアのウクライナ侵攻準備、どれくらい完了しているのか 2022年2月15日 デイヴィッド・ブラウン、BBCニュース』)

 どうであれたった20万だけでウクライナ全土掌握はムリだ。西側メディアは意図して「侵略者プーチン」像を作りたがっているかのようだ。そもそもプーチンは2月24日の演説で「私たちの計画にウクライナ領土の占領は入っていない」と言っている。また、理由は分からないが戦いぶりを見れば明らかなように、ロシア軍は力をセーブしている。
【演説全文】ウクライナ侵攻直前 プーチン大統領は何を語った?  (NHK 2022年3月4日 18時25分)

 プーチン演説はぱっと見では人の感情に訴えるように書いているが、西と東をひっくり返せばだいたい同じことをバイデンも主張できる内容になっている。どちらにとっても同じぐらい死活的な利害がウクライナにあるということは、お互いが相対的な正義を述べているにすぎないということだ。日本での報道に接していると、どちらかというとバイデン&NATO陣営が正しく、優勢のように見えるが、プーチンが軍事侵攻に踏み切ったのには中国という後ろ盾がある。これでプーチンにとってイーブンか、それ以上だ。

 どちらが正義ということもなく、悪ということもない。ただ欲望と狂気が人類を奔走させているだけのように見える。わたしはどちらの側にも立ちたくない。

 

20XX「文明の崩壊と誕生」第1幕への前奏曲

 おそらくロシア軍の動きが鈍い原因は、今回の軍事行動が抑制的な暴力行使というあいまいな性格なため、たぶん、前線レベルでの作戦命令がかなりどっちつかずのものになっているのではないか?それがロシア軍の進撃を鈍らせている要因なのではないか?最前線の兵たちのフラストレーションの原因になっているのではないか?というのが現時点での筆者の見方だ。
 だがそれにしてもあまりにも弱い。他にもなにかわけがあってわざと弱めに戦争しているのか?などと勘ぐってしまう。

 たぶん、プーチンもバイデンも習近平も、〝次の戦争〟こそが本気モードだと予感している。現今の人類が築き上げたこの文明は、おそらくは地球上の生命体が建てた数度の文明に次ぐものだが、次なる戦争がこの文明の終焉と崩壊のきっかけになるのであろうか。今ウクライナで起きていることは、その第1幕への前奏曲に過ぎないのか。

 

 

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