法華経 従地涌出品が描出した真空エネルギー ~静謐のバイブレーションまたは「狂乱の舞台」~

随想

Eliminate all other factors,
and the one which remains must be the truth.
「すべての余計な要因を取り除いてひとつだけ残ったもの、
それが真実に違いない。」
シャーロック・ホームズ

 

『法華経』従地涌出品ではサハー世界のあちこちに亀裂が走り、そこから黄金色に輝く大量の麗しい姿の菩薩があらわれ出てくるという描写がある。前回の記事「塔を”見る”ということの意味」の続きにあたる部分だが、他の仏国土から来た菩薩たちが法華経宣揚を誓うのを釈迦如来が謝絶したのちに現出するこの情景は、おそらく、量子論的な真空エネルギーの姿を描出していると思われる。

……そのとき、このサハー世界はいたるところが割れて裂けた。そして、その裂け目の内部から、幾百・千・コーティ・ナユタもの多くの菩薩があらわれ出た。彼らは、金色の身体と偉大な人物のもつ三十二の相をそなえたものたちで、この同じサハー世界を住処とし、この大地の下にある虚空界にとどまっていたのである…… (中公文庫『法華経』従地涌出品より)

サンスクリット口語訳のこの描写のおもしろいところは、「サハー世界が割れて裂けた」と表現している点だ。鳩摩羅什など漢語訳に多く依拠した経文では、ここは「地面が震裂した」と書かれている。日蓮宗のお寺、広済寺さんのホームページから引こう。

仏説是時。娑婆世界。三千大千国土。地皆震裂。而於其中。有無量千万億。菩薩摩訶薩。同時涌出。
(仏是れを説きたもう時、娑婆世界の三千大千の国土地皆震裂して、其の中より無量千万億の菩薩摩訶薩あって同時に涌出せり。)

既存の仏教関係者やお寺さんをディスるつもりはないが、伝統的な宗教の立場から法華経を読むと、どうしても3次元目線になってしまう。「世界のいたるところが割れた」と経典に書かれているのに、わざわざ「地が割れた」と書き直している。
世間の仏教は娑婆の生活者を対象に宗教として流通している。このためどうしてもカストマーである衆生の目線に話を合わせてしまいがちで、その結果、こうした現象が起こりやすい。漢語訳は格調高い表現が彼処に見られ、個人的に嫌いでない面もあるが、原典(釈迦如来が実際に語った言葉)により近いサンスクリット版に見られる量子論的に先鋭化した表現を、”衆生にわかりやすく伝える”ために、日常の3次元バージョンにダウングレードしてしまう傾向があるのは否めない。(尤もサンスクリット口語訳もこのあとに「大地の裂け目」といった表現を使っているのだけどそれはさておき)

「世界のいたるところが割れて裂けた」という直截的な表現は、法華経独特の誇張した言い回しとかそういうのではなく、この世界の物質そのものが崩壊したことをあらわしている。あらゆる物質が割れ、裂けて、こなごなに砕けて、あとに残った虚空に、金色に輝く菩薩たちがみちあふれているという量子的な情景が描かれている。

……百・千もの(世界の)虚空によってとりまかれたこのサハー世界が、菩薩で満ちあふれている……(中公文庫、従地涌出品)

 

 

 

「無から宇宙が生まれた」と言っている人は意外に多いが、そのひとり、アレックス・ビレンキンは「無は、宇宙創造のスタート地点として満足できるただひとつのものであるように思われます」と書いている。著書『多世界宇宙の探検』の中の言葉だ。同書でビレンキンは真空について「私たちは最低のエネルギーを持つ真空つまり真の真空の中で生きています」(太字は原文傍点)と語る。
量子論的に言うと、真空の中では不確定性原理によりエネルギーが生じたり滅したりしていて、このエネルギーのゆらぎが粒子と反粒子を対生成し、すぐに衝突して対消滅するという”生成と消滅”がたえず繰り返されている。真空とは、空間の中にあるすべての物質を取り除いた状態を言うが、余計なものを全部取り去ってみても、そこには微細なエネルギーがゆらいでいる。言いかえれば真空とは、エネルギー量が最低の状態の空間のことというわけだ。

なにもない真空の中にはかすかな、精妙なゆらぎがある。従地涌出品はどう書いているだろう。サハー世界(=物質世界)のいたるところが割れて裂け、こなごなになって、そこに生じた空隙から地涌の菩薩たちが大量にあらわれ出て、中空にとどまっている(住於虚空)。全身を金色に輝かせ、三十二の吉相を備えたうるわしい菩薩たちは「法華経をひろめる」という弘経の発心そのものだ。求法者の不退転の発心が示される様子を、如来神力品から引こう。

「世尊よ、如来が完全な涅槃にはいられたあと、すべての仏陀の国土において、世尊のいかなる仏陀の国土にせよ、どこで世尊が完全な涅槃にはいられようと、私たちはそこでこの法門を説き明かすでありましょう。世尊よ、このように偉大な法門を、私たちは受持したり、読誦したり、教示したり、説明したり、書写したりするために、求めるものであります」(中公文庫、如来神力品より)

従地涌出品の光景は、如来寿量品を途中に挟みながらこの如来神力品につながっており、同じ場面を描いている。物質世界が粉々に砕け散り、中空の真空に残った菩薩たち。彼らはいかなる世界に生まれ変わろうとも法華経を求めるのだと強く訴える。彼らには、もはや法華経を学び、法華経を弘めるという「発心」しかない。

……菩薩の群れがあたりくまなく大地の裂け目からあらわれ出て、虚空界にとどまっている…… (中公文庫、従地涌出品)

世界が割れ、裂けて砕け散り、物質がすべて取り除かれた真空の中に、「法華経をひろめる」という宣揚の誓いだけが無限にひろがる光景……

すべての物質を取り去った真空に残るかすかなエネルギーのゆらぎ。真空にひろがる静謐のバイブレーション……なにもない真空の世界は、微細で精妙なワンダーサウンドに満ちあふれているのだ。

 

 

ところでさっきのビレンキン氏はこの件についてどう考えているのだろうか?彼は著書の中で「真空は不活発なものでも静的なものでもありません。それは狂乱の舞台なのです」と言っている。だがこの話はまた次の機会に譲ろう。

 

『大乗仏典5 法華経Ⅱ』中公文庫
『多世界宇宙の探検』アレックス・ビレンケン 林田陽子訳 日経BP社
Newton『究極の無』2022年3月
広済寺ホームページ
Youtube
「Koji’sDeepMax」より
「法華経大講話4 第14章従地湧出品 この一生あなたは地湧の菩薩か如来の人生か!」 2019/08/26
「人間を越えた人のためのチャンネル」より
「どの瞬間.菩薩が如来になるのか!3つの光と従地湧出品は同じ!光は如来が弟子たちに授記を授けると生まれる!」 2020/05/06
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