お釈迦様の地上での最後の言葉【仏典に関するメモ】

仏典に関するメモ

 

お釈迦様の地上での最後の言葉

 

vayadhammā saṅkhārā appamādena sampādetha 
(ヴァヤダンマー サンカーラ、アッパマーデーナ サンパーデータ)

パーリ語の仏典『マハーパリニッバーナ経(大般涅槃経)』に記されている。一般的な日本語訳としては、

「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成しなさい。」
(中村元『原始仏典』筑摩書房)

 

「形成されたものは、滅することを性質とする。怠ることなく成し遂げよ。」
(馬場紀寿『初期仏教』岩波新書)

 

「すべての現象は衰滅無常のものである。お前たちは放逸(わがまま)ならずして、目的を達成させよ。」
(水野弘元『釈尊の生涯』春秋社)

などがある。

 

◆vayadhammā ヴァヤダンマー

vaya (ヴァヤ)は英訳(Wisdom Library)ではloss(損失), decay(減衰), expenditure(支出)といった意味。decay がいちばんしっくり来ると思う。手元の英和辞書を引くと、

《decay 朽ちる、腐る、衰える。腐敗、衰微。(放射性物質の)自然崩壊。》

となっている。

dhammā(ダンマー)は、同じサイトで調べると、

Nature of all things. That which Buddha has taught (apart from the vinaya). Study of reality. Consciousness. Every moment of consciousness which does appear in the mind is a dhamma. Detachment and deliverance from the world.
(すべてのものの性質。仏陀の教え(ヴィナヤを除く)。実在の研究。意識。心の中に現れる意識のあらゆる瞬間がダンマー。世界からの分離と解放。)

と出てくる。一語にずいぶんといろいろな意味を乗っけている。“存在の本質”という感じに取れるが、他サイト等でいろいろ調べてみると、この場合のダンマーは「~という性質を持つ」といった意味に取るのが適切なようだ。

ということで、 vayadhammā は、“すべて滅びゆく性質を持つ”という意味になる。

 

◆saṅkhārā サンカーラ

◆saṅkhārā(サンカーラ)は、日本では単純に「諸行」(涅槃以外のすべての物質的現象)という訳語が充てられているが、Wisdom Library で調べると

「one of the most difficult terms in Buddhist metaphysics, in which the blending of the subjective-objective view of the world and of happening, peculiar to the East, is so complete, that it is almost impossible for Occidental terminology to get at the root of its meaning in a translation. 
(仏教の形而上学における最も難解な用語の一つで、世界と事象の主観的-客観的視点が完全に融合した東洋独特の世界観であり、その根源的意味に西洋の言語による翻訳で到達するのは不可能である)」

と書かれている。ただ、

essential condition; a thing conditioned とも書いてある。ここで言う condition コンディションは、状態というよりも、後段で conditioned 「条件づけられた」とあるので、「本質的な条件、条件づけられたもの」、つまり、“物はある条件のもとに生じるという本質的な性質を持っている”ぐらいの意味になるだろう。

こうも書いてある、

「things that act in concert with other things, things that are made by a combination of other things
(他の物と協調してふるまう物、他の物との組み合わせによって作られる物)」

つまり、量子もつれだ。因縁によって生じる物、という意味になる。また、上座部は

「Formation, compound, fashioning, fabrication – the forces and factors that fashion things (physical or mental), the process of fashioning, and the fashioned things that result.
(形成、複合、型、構造-もの(物理的または精神的)をかたちづくる力と要因、形成のプロセス、そして結果として形成されるもの)」

と定義づけているということで、まとめるとサンカーラは “因縁によって生じる形ある事象の集合体” といった意味になると思われる。

 

まとめると、こうなる。

vayadhammā saṅkhārā  ヴァヤダンマー サンカーラ の意味は、

“この世界に生じたすべての事象は滅することを性質とする。”

 

 

◆appamādena アッパマーデーナ

appamādena (アッパマーデーナ)は、日本では通常「不放逸に」「怠らずに」の語彙が充てられている。怠けずにちゃんとしている、ぐらいの意味になろう。冒頭に掲げた各種邦訳でもこの意味を取っている。

しかし釈迦が人生の最後にあたり弟子たちに託した言葉としては、これではちょっと意味が軽すぎる。

この語を分解すると、こうなる。

a (否定の接頭辞)+pa(意味を強める接頭辞)+mad(酒に酔った酩酊状態)

つまり、ひどい酩酊状態ではない、精神の明晰な状態、という意味だ。

Wisdom Library で appamāda を引くと、

「Heedfulness; diligence; zeal. The cornerstone of all skillful mental states, and one of such fundamental import that the Buddhas stressed it in his parting words to his disciples
(注意力; 勤勉; 熱意。すべての熟練した精神状態の基礎であり、仏陀が弟子たちへの別れの言葉でそれを強調したほどの基本的な重要概念の 1 つ)」

他にも mindfulness マインドフルネスといった語彙も出てきた。マインドフルネスはパーリ語の sati サティに対して充てられた英訳語。検索したら、サティについて興味深い記事を見つけた→「マインドフルネスの先にある、サティとは」。灘高から東大の博士課程を中退して曹洞宗のお坊さんになった方の講演まとめだ。

「瞑想は特別な体験や境地をゲットするためのものと思われているが、このように本来持っているものを思い出すためのものなのである」とある。これで行くと上掲記事ではあまり話を大きく広げずに、シンプルに一個の精神の瞑想による覚醒体験のようなニュアンスでサティをとらえているように思えるが如何。

これを拡張してわたしなりに言い換えると、“自らがこの世界に生じた理由を思い出そうとする魂のはたらき”といった感じになる。

覚知者、一切知者といった言葉も浮かぶ。

上掲記事はまた、こうも言っている、

「マインドフルネスは(中略)自分の内や外で起きていることを、曇りなき目で見るということだ。視覚だけではない。仏教は知覚の窓は6つあると教える。目、耳、鼻、舌、身体感覚、心だ。心も感覚器官の1つで、何を感覚するかというと思考やイメージである。」

この「曇りなき目で見る」を先ほどと同じように個的体験から全的体験へと解釈を拡張してわたし流に言い換えると、“ありとある存在界の事象をあやまたず見渡す一切知者の叡智の眼=観音力、観自在力”となる。

 

また、appamāda については『Dhammapada(ダンマパダ。法句経)』に次の言葉がある。(ダンマについては上述「ヴァヤダンマー」をご参照ください)

Appamādo amata padam (不放逸は不死である)

仏陀の真実の教えの中で、appamāda に不死という意味付けがなされている。

これは、一切知者の叡智は永遠の生命を得るという意味だ。

 

 

◆sampādetha

sampādetha (サンパーデータ)はどういう意味か。 sampādeti を調べると、これは今までの単語と違って、特に深い意味はなく、難解で重層的な解釈を迫られることはないようで、単純に「目的を達成する」「完成する」という意味となっている。

 

さて、 appamādena sampādetha の真の意味が「怠けたりせずに修行に励みなさい」などという小学校の標語のようなものではないことが明らかになった。まとめるとこうなる。

 

“この世界のすべての事象を誤たず見る叡智、永遠の生命を完成せよ”

 

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教
にほんブログ村

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました