観自在菩薩はサンスクリット語で Avalokiteśvara アヴァローキテーシュヴァラ。
アヴァ、ローキタ、イーシュヴァラの三つに分けて、
アヴァ → Ava = 下に、あまねく。
ローキタ → lokita = 見る、見た。
イーシュヴァラ → īśvara = 自在の、能力をもつ、至高の魂、愛の神、宇宙の最高神
これを混ぜると「至高の愛と魂で宇宙を高次元から見渡す自在の能力を持つ」という感じの意味になる。
『サンスクリット文法入門』(山中元:著)には、
ava-lokita 見下ろした(ava- 下に) + īśvara 能力をもつ、という形容詞
とある。
山中氏はアヴァローキテーシュヴァラを“観世能菩薩”と訳している。世間を観る能力をもつ菩薩、といったニュアンスだろうか。
また、ウェブ上の「観音菩薩 – Japanese Wiki Corpus」というページによると、
梵名のアヴァローキテーシュヴァラとは、ava(遍く)+lokita(見る、見た)+īśvara(自在者)という語の合成語との説が現在では優勢である。
玄奘三蔵による訳「観自在菩薩」はそれを採用していることになる。
とある。
サンスクリット語のことはよく分からないけれど、素人的にいろいろ調べている限りでは、この言語は一つの語彙にめっちゃいっぱい意味を盛ってくる傾向がある。ava- (アヴァ)には「下に」「あまねく」といった意味があるようだが、ava- が示すパースペクティブは、思うに、この求法者が高次元に位置している霊格の高い存在であることの現われでもあろう。
ちなみに、 īśvara (イーシュヴァラ)という単語をWisdom Libraryで引くと、ものすごくたくさん意味が出てくる。
続いて lokita (ローキタ)だが、これには seen, beheld の語があてられている。シンプルに「見た」という意味のようだ。
観自在菩薩① で触れたアショーカ王の時代の「Mahāvastu Avadāna (マハーヴァストゥ・アヴァダーナ)」に描かれているアヴァローキテーシュヴァラの原型を再掲しておきたい。
Bhagavān who takes the form of a Bodhisattva, whose duty it is to look round (Avalokita) for the sake of instructing the people and for their constant welfare and happiness.
(菩薩の姿になった覚者の義務とは、人々を導き、人々の福祉と幸福のために周りを見回すことである)
この文章の look round =見回すという語が、サンスクリットではavalokita アヴァローキタとなる。
そして、 īśvara だ。イーシュヴァラ問題。観音経の中に
イーシュヴァラ(自在天)によって導きえられる者たちには、イーシュヴァラの姿で教えを説く。
(『法華経』岩波文庫)
とあるように、自在という意味。だが先ほど述べたように、「能力のある」、「王、統治者」、「愛の神」、「至高の魂」、「リッチな女」、「宇宙の最高支配者」、「シヴァ神」、「領主」などと、イーシュヴァラには多彩な用例があるようだ。
冒頭の再掲。まとめると、
アヴァ → Ava = 下に、あまねく。
ローキタ → lokita = 見る、見た。
シュヴァラ → īśvara = 自在の、能力をもつ、至高の魂、愛の神、宇宙の最高神
これを混ぜて「至高の愛と魂で宇宙を高次元から見渡す自在の能力を持つ」となる。
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