華麗なる過去世を棚おろし①~何千もの魂の塊、宇宙の魂~

宇宙系

過去世が見える霊能者やチャネラーの人によると、人ひとりの後ろにはパッと見だけで何千人分もの魂がひとかたまりになっているらしい。わたしはこれまで何人かの方に過去世を見てもらったが、見る人によってさまざまなパターンが出てきた。

説明によると、どうやら、その時にわたしが見てもらいたい、いわばアピールしたい過去世が、そのときどきのチャネラーや霊能者に見える、という感じのようだ。あるいはまた、わたしの意思に特に関係なく、その見る人によっていろいろな見え方になったりする、と。

いろいろな過去世があるというわけだが、いろんなチャネラーの人に見てもらった結果、なにか共通するパターンのようなものがあるように感じた。わたしの場合、

  1. 宗教がらみが非常に多い。
  2. 芸術、クリエイティビティに関連する仕事に就いていたケースが多い。
  3. 正義感が非常に強い。
  4. 美しいものや、崇高なものへの希求。
  5. 女性としての転生回数が多い。
  6. 宇宙系、レムリアとの関連が多い。
  7. めっちゃ純粋。

ざっくりと、こういった印象を持った。

 

「最初に“ア”が付く星から来たようですね」

最初に見てもらったのは2021年の1月か2月頃で、スピリチュアル系の占い館に所属しているスピリチュアルカウンセラーのS先生。冒頭から「あなたはものすごく純粋で、ピュアで、感受性が非常に強くて、……」という鑑定をしていただき、自分では汚れきった人間だと思っていたが、そうでもないらしい。

最初に、スターシードかどうかを見ていただいた。S先生の世代ではスターシードという語彙がまだなくて「ETソウル」と呼んでいたそうだ。その先生もどこかの宇宙の星の由来を持つ魂とのことだった。先生の見立てでは、どうやらわたしは「最初に“ア”が付く星から来たようですね」。そのときわたしが思いついた星の名前がアンドロメダ、アルクトゥルスのふたつ。先生「たぶんそのどちらかだと思います」という話だった。

S先生が言うには、わたしは「宇宙のいろいろなところを長く旅してこられていて、歴史の長い魂で、すぐれた人格者です」という評価で、自分に照らし合わせて、いやいやそれはないんじゃないの?こんないやしい人間なのに、浅はかな人間なのに、と感じた。

転生が少なくて地球慣れしてない?

お話を聴くと、宇宙由来の魂というのも過去世に似ている。そもそも地球に来ている魂はおおもとをたどればみんな宇宙由来だそうで、その意味ではみんなスターシードとも言えるわけだけれど、そこをわざわざスターシードと呼んで区別するのは、それなりの理由がある。

まずは、「自分の魂は宇宙から来たんだ」という自覚が強い人。また、自覚はないけれど、地球での暮らしがものすごく苦痛な人もスターシードかもしれない。もうひとつは、ライトワーカーと呼ばれる、地球や人類に貢献するために、ある種の使命を帯びて地球に転生していきている人たち。こういう人たちを特にスターシードと呼んでいるようだ。

要は、魂が宇宙とのつながりを強く持っているかどうか、という感じだろうか。逆に、宇宙とのつながりが弱い人や、よくわからないけれど中には生粋の地球人という人もいるかもしれない。地球での転生回数がとても多い人のことを「オールド」、「オールドソウル」と呼ぶそうだ。

わたしなどはS先生から見ると「地球での転生回数が極端に少ない」らしい。普段から生きづらさを感じており、普通の人ならなんとも思わないようなことでも激しいショックを受けて、しばらく立ち直れないのは、どうもその辺が影響しているようだ。地球慣れしていないというか。

逆に回りの人間どもを見ていると「こいつらどんだけ狡猾で邪悪で獣だよ!」と年がら年中感じている。じぶんの日常を棚に上げて一方的に言ってるわけだけど、これも地球での転生が少ないスターシード特有のメンタリティなのだろうか。メンタルが荒れに荒れてダメ人間になってしまうスターシードも多いと聞く。

小高い丘の上の小さな教会にいる聖職者

次に地球での過去世を聞いてみた。S先生が最初に見えてきたのが“海沿いの小さな町にある小さな教会にいる聖職者”というものだった。牧師さんか神父さんか、そこまでは分からないけれど、キリスト教のそういう人で、その教会は小高い丘の上にあって、港町と広い海が見える。なにか、後悔のような感情があるらしい。

先生の話はこうだ「若いときに、正しいもの、善いもの、美しいものに強いあこがれをもってキリスト教の聖職者になる道を選んだが、入ってみたら教会内部の現実はドロドロで、妬み、ひがみ、足の引っ張り合いや嫌がらせなど、人間の醜悪さに満ちていた。あなたは絶望した『ここに神はいない』と」。

最初は大きな教会に入ったものの、こういうひどい経験ののちに、小さな教会で布教する道を選んだらしい。不遇だったのか?それとも小さな幸せを感じながら神につかえた余生だったのか?思い出しようがないので知る由もないが、わたしじしんのこれまでの人生に照らし合わせて、この生き方にはどこか共感するものがあるのは確かだ。

巨大な権力機構に対する尊崇の念と、それ以上に強い反発の感情が、わたしの内部に同居しているのをひんぱんに感じる。また、分かったようなそぶりで奇妙なドグマを唱えている人を見ると、その人物が嘘を言っているのか本心でそう言っているのかがピンと分かる時がある。嘘をついているタイプの人の中には自分にも巧妙な嘘をついている人がいて、本人は「私は正しいことを言っているんだ!」と思い込んでいる。

ルカ福音書23章34節「父よ、彼らを赦したまえ、その為す所を知らざればなり」この祈りの言葉にわたしたちは刹那毎に試されているのを感じる。わたしは信仰を持っていないのだけれど、神よ、わたしもまた嘘の人生を歩んでいるのでしょうか?といつも問いたくなる。

バチカンの教会の奥の方で仕事をしている書記

S先生によれば、別の過去世でもキリスト教関係者に生まれて、今度は「バチカンみたいな大きな教会の、奥の方にいて、書記の仕事をしていたこともありますね」ということで、いつの時代かは分からないけれど、かなり高い位の聖職者になっていたらしい。

前の「小さな教会にいる聖職者」と真逆の人生というわけだ。しかもバチカンのでっかい教会で書記をやっていた、となると、超極秘の文書やらなんやらをわたしが取り扱っていたとでもいうのだろうか(笑)

ファティマの予言とか、ナチスとの関わりだとか、フリーメイソンとか、ロスチャイルド財団とか、なにかとお騒がせのバチカンの、極秘ファイルを管理していた、となると、もしわたしがなにかのはずみでその過去世を思い出してしまうと、マズいことになる人が大勢いるのではないか(笑)

もしかしてそういう関係者が「記憶をよみがえらせるとヤバいからこいつを消してしまえ」とか( ̄▽ ̄;)

いやいや、それは困ります(笑)まあ、思い出すこともないんでしょうけれどね。

どうであれ、ヤバい関係者の方々がこのブログにたどり着かないことを祈ります。ハイ。

「あ、ポンペイにいましたよ!」

S先生はわたしがレムリアにもいたような話を、確か、してくださったと思う。他にも、いまちょっと思い出せないけれど、いくつか過去世を見てもらった。それと、鑑定中に急に「あ、ポンペイ!ポンペイにいましたね!ポンペイにいましたよ!」とおっしゃるのだった。

例の、火山のものすごい噴火で一瞬にして灰燼に帰したポンペイの、まさにその時に住んでいたそうだ。バチカンとかポンペイとか、けっこうイタリヤにご縁があるという感じだろうか。イタリヤは好きな国だけれど、これまでの人生で、そこまでイタリヤに惹かれたことは特になかった。うーん。あるとすれば、ジュリアーノ・ジェンマがいい男だなとか思うのと、スーパーカーではランボルギーニ・ミウラが好きだというぐらいか。キリスト教に対する興味は、幼稚園が聖母幼稚園だったこともあるのか、けっこう昔から興味ある。

あとは、指揮者でカルロ・マリア・ジュリーニとかリッカルド・ムーティとか、アントニオ・パッパーノとか、案外とイタリヤの人が好きみたいなところはある。お三方とも、チャイコフスキーの交響曲第6番〈悲愴〉ですぐれた録音を残している。

有名な第2主題の、あの巻いて歌う感じが、イタリヤ的な歌心と合うような感じがする。イタリヤ人に限らず、オペラが得意な人は、あの旋律をドラマチックに巻いてくるのだという。

話がそれてしまったが、S先生の鑑定はこんな感じだった。次回以降、ほかのいろいろな先生の鑑定結果をご紹介していきたいと思う。

 

②へつづく

 

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