あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。
マタイ福音書5:16
楽しみにしていた『スターシードオラクル』の開封。箱を開け、一枚ずつカードを手に取るごとに、胸がキュンキュンした。美しい絵柄。中には、瞑想の時に浮かんでくる情景とそっくりの絵や、子どものころ眠れない夜に脳裏に描いていた、宇宙から見た地球の姿とほとんど同じ絵柄もあった。
こうやって見ているだけでも胸が高鳴る。来たるべき未来なのだろうか。それとも試練の予告なのか。あるいはかつて、どこか別の世界で受けた悲しみや教訓、喜び、そうした魂の一切の履歴なのかもしれない。
時空存在者が感知できる時制は過去だけだ。整然と並べられたカードのように、わたしは一枚ずつ過去を読み取る。わたしという存在の手がかりは過去にしか現われ得ない。存在者はそのようにして、みずからの出自を順序だてて理解し、整えていくのではないだろうか。
「ヴェールを上げる ― LIFTING THE VEIL ― Questioning everything. Anything unaligned must go. 」
ホワイトセージとティンシャ、そしてレムリアンシードで浄化。一枚ずつ対面してからのファーストメッセージは、
「ヴェールを上げる ― LIFTING THE VEIL ―
Questioning everything. Anything unaligned must go. 」
ページ上の画像がそれです。「Questioning everything. Anything unaligned must go.」というメッセージの意味は、ガイドブックには、「すべてに疑問を持つ・不調和を取り除く」と書かれている。
物事は見かけ通りとは限りません。偽物を見抜いて排除し、真実を発見してください。今、すべてに再調整が必要です。地球と調和しないものは生き残れないからです。(『スターシードオラクル』ガイドブックより抜粋)
以前、アルクトゥルス系のスピリチュアルカウンセラーから「普通の人は嘘でも『そうだ』って思ったりするんだけど、あなたはものすっごく純粋だから、『これだ』って思ってもそのことを疑問に思う。『いや、そうじゃないんじゃないか?本当は違うんじゃないか?』って問い続けてしまう」と言われたことがある。真実を見いだすために、すべてを疑ってしまうのだと。ファーストメッセージカードに引っかけて解釈すると、飽くことなく問う行為が身の回りのすべてを「不調和」と誤認してしまい、必要なものまで遠ざけ、取り除こうとする、ということになるだろうか。
念のため、べつに「オレはこんなにピュアなんだぜ」と自慢しているわけではない。純粋な人生は辛いことだらけだし、上述のように過ちも多く、幼く拙い生き方ににさえ感じられる。純粋ということ自体は、いいことでもなければ悪いことでもない。なんの意味も持たない。透明度の高い水晶は珍重されるが、いっぽうでクラックや異物が混ざり込んだクリスタルは、大きな価値と強いエネルギーを持つ。
Questioning everything=すべてを問う、ということの意味
わたし的には、この「Questioning everything」を、「すべてを問うこと」というふうに読んでいる。すべてとは無限の自由のことで、それは言うまでもなく空(くう)だ。法華経序品で、釈迦が眉間の白毫から一条の光を放ち、無限の世界を顕現させた。それを見た人々は驚異の念に抱かれた。奇瑞に心を打たれ、どよめく会衆の中にいた弥勒菩薩はガーターでこんなふうにうたっている。
わたしも、これら幾千万の人々も、ここに立って、そのすべてを見る。
この世界は、天界もろともに、仏の放った一条の光によって、花が咲いた。彼が放った一条の光は、今や、この世界に幾千の国土を現わし示す。
彼が広大な光を放ったのは、いかなる訳があるのであろうか。
(『法華経』序品 岩波文庫より)
釈迦が放った「広大な光」がもうすでに「ヴェールを上げる」の意味になっているのだけれど、わたしはお釈迦様ではなく、弥勒菩薩と同じ「ここに立って、そのすべてを見る」という四衆の立ち位置にいる。釈迦は地上の最後の転生において一貫して空の教えを説いた。眉間からの一条の光もまた空の示現であったろう。
だからこそ、「この世界に幾千の国土を現わし示」した如来の叡智の光の意味を問うていくことこそが、わたしのこの人生の目標なのだといま思う。これが、Questioning everything=すべてを問う、ということの意味だ。
「Anything unaligned must go.」洗礼者ヨハネ、法華経見宝塔品と共鳴する意味
次に、「Anything unaligned must go.」のほうは、ガイドブックでは「不調和を除去すること」となっている。これを踏まえたうえでのわたし的な読みでは、「整っていないものをすべて手放せ」といった意味になる。Everything must go が売り尽くしとか在庫一掃とかそういう意味のようなので、日常生活に引き寄せて言えば「整ってないものぜ~んぶ処分!断捨離!」のような感じにも読めるかもしれない。
この言葉に接して最初に思い浮かんだのが、洗礼者ヨハネの「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」だった。この句はイザヤ書40章3~4節の
主のために、荒れ野に道を備え、
わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。
谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。
険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。
(旧約聖書 新共同訳 日本聖書協会1987, 1988より)
がおおもとになっている。
聖書のこのくだりを読むと、わたしはどうしても法華経見宝塔品における、全創造世界のあのきらびやかな光景を思い出してしまう。無限の融通無碍世界に広がる仏国土でそれぞれ教えを説いている如来たちが、それぞれ二、三人の従者を連れてサハー世界に陸続と到着するシーンだ。大量の如来たちがサハー世界にやってきて虚空会に参加するわけで、それぞれが座る場所を確保するために、虚空会を主宰するお釈迦様はサハー世界の地面を平らに整え、如来と従者たちが座るスペースを確保する。
……そのとき、すべての世界は宝樹で飾られ、瑠璃づくりで、七宝の飾りのついた黄金の網で覆われ、小鈴を結び合わせた網がかけられていて、大きな宝玉のような香料の香りでくゆらされ、(中略)しかも、それらの世界には、村落・都市・集落・州・王国・首都はなく、カーラ山も、ムチリンダ山も、マハー=ムチリンダ山も、チャクラヴァーダ山も、マハー=チャクラヴァーダ山もなく、スメール山(須弥山)もなく、その他の大山もなければ大海もなく、河川・大河川もなく、……
(『法華経』見宝塔品 岩波文庫)
そして「このとき、このサハー世界において六種の運命を背負うて生まれた者たちは、その座に集まってきた者を除いて、すべて他の世界に移された」(同)。虚空会に参加できるほど霊格が高くない(=不調和な)者たちはこのサハー世界からいったんどこか他の場所に移動してもらって、でこぼこした山や川も整地して、「すべて平坦で、風光明媚で、七宝づくりの樹木が色とりどりに」(同)なるようにきれいに整えて、といった具合に、釈迦如来による会場の設定が行われた。こうしてあらゆる不調和が取り除かれ、平らに整頓された場にサハー世界は作り変えられた。
整っていないものをすべて手放せ ― Anything unaligned must go ― の意味は、前述したように、日常レベルでの整理整頓や断捨離のススメのようにも読める。また、いっぽうで聖典に引っかけて読み解くこともできるという、いろいろなレベルでの受け取り方ができるメッセージのように思う。
ショーペンハウアー「マーヤーのヴェール」化城の喩え
ショーペンハウアーは『意志と表象としての世界』の中で「マーヤーのヴェール」について言及している。持っている本が古いので、引用文が旧の言い回しで読みにくいけれど、そこはご勘弁いただきたい。
印度人の古からの学智は此くいつた、「此は只幻 Māyā である、生死の人間の眼を蔽ふて一つの世界を見せしめる偽りの斗帳である、此の如き世界は有りとも云へず、なしとも云へない、世界は夢の如く、又旅人が遠くから見て水だとだまされる砂上の陽炎の如く、或は又蛇と思つて近よれば、棄てた縄であつたに似てゐる。」(此等の譬喩はヹダやプラーナの中に無數に反復してある)。
(『意志と現識としての世界』ショペンハウエル著、姉崎正治訳 改造社出版 昭和16年)
ヘラクレイトス、プラトン、スピノザ、カントと来て、このショーペンハウアー的仮想世界がある、というわけだ。時空やその中に現われる一切のものは「虚無の性」を持つとショーペンハウアーは言っている。インド思想に傾倒しており、『意志と表象としての世界』には「暗黒領域」などといった言辞も見られる。
ショーペンハウアーについて何を言えるほどのわたしには実力がないのでこれぐらいにしておきたいが、要は、この世はまぼろしである、と。世界は夢のごときものなのだと。いわばこの世界はキアヌ・リーヴスが出てくる〝化城の喩え〟に過ぎないのだと、ショーペンハウアーは言っているように思う。
レプティリアンの世界観?三角形が象徴するもの
わたしがよく見るYouTubeチャンネル「文太ママのスピリチュアル部屋」の新しい動画によると、この「スターシードオラクル」と同じ作者が作った「ワークユアライトオラクル」(㊤の写真)は、レプティリアンの世界観なのだそうで、ちょっとショックを受けた。たしかに、中心やや上のところにバッチリと三角形のマークが印されてある。スターシードオラクルにも同様のマークが付されており、もうバキバキにフリーメーソン・イルミナティ系という感じのカードということらしい。
また、オラクルカードというジャンル自体が全般的にレプの世界観ということらしく、これもまたショックだった。
せっかく自分に合ったカードを手にしたところだったので、情報を信頼して、いつも楽しみに見ていたかただったので、衝撃はいっそう深かった。涙
こちらの「文太ママ」チャンネルでは、ロシアのプーチン氏は「チャネリングしても魂が見えてこない。レプに呑まれてる」という判定で、ウクライナのゼレンスキー氏のエネルギーも「暗い。かなり危ない」という見立て。ロシアプーチン側、米バイデン&NATO側双方の後ろにレプティリアン系の勢力が付いていて、お互いをあおりまくっているそうだ。ちなみに、アドルフ・ヒトラーは若い頃に悪魔儀式に手を染めてしまい、その時にレプに魂を取られてしまったのだそうだ。
今の世界を見ていると、レプティリアンがどうというよりも、人間が持っているダークサイドが利用されて、人々の苦しみが意図的に生み出されているように見える。人間の苦しみの根本原因は人間の中にある。レプティリアンたちはそれを利用しているに過ぎない。
また、文太ママとは別の動画で得た話だけれど、ひとくちにレプ系とか爬虫類系といっても、宇宙にはいろいろなタイプのレプティリアン的な生命体がいるそうだ。そうした中には地球人に対して中立の立場を取るレプティリアンもいるようだ。言い得ることは、今この時点の地球に関与し、強い影響を及ぼしているレプティリアンは、地球人のネガティブな心のはたらきを巧妙に使って苦しみを生み出し、そこから自分たちの生命の栄養源を抽出している種族の一派、ということだ。であれば、人間存在の根底にある苦しみの原因を見きわめ、それを対象化し、自己から切り離し、取り除けば、こんな目に遭わずにすむのではないか?
では、生命にとって苦しみとはなにか?苦しみの根本原因とは何なのか?それはまた稿を改めたい。
【参考】
スターシードオラクル
ワークユアライトオラクルカード
(両方とも)レベッカ・キャンベル (著), ダニエル・ノエル (イラスト), 長井 千寿 (翻訳)
岩波文庫『法華経』1964年
聖書 新共同訳 日本聖書協会1987, 1988
『意志と現識としての世界』ショペンハウエル著、姉崎正治訳 改造社出版 昭和16年
YouTube「文太ママのスピリチュアル部屋 」
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